都之城 (みやこのじょう) (鶴丸城)
所在地 宮崎県都城市都島町803 2014.9.10
都之城 (みやこのじょう) (鶴丸城)
所在地 宮崎県都城市都島町803 2014.9.10
説明板
大手櫓門
西城の狭野神社
中央道路・空堀
本丸跡・資料館
都之城 本丸跡(地図)
【遺構★★★★☆】
【案内・感想】 北東側の市道に面して「城山公園」駐車場が用意されている[マップコード117 456 524*03]。駐車場の西に「脇戸付櫓門」が建てられている。
本丸跡には城郭風建築の「都城歴史資料館」(表記番地)が建てられ、広場となっている。
中央の道路(空堀)の西の西城跡があり、狭野神社が建立され神武天皇が祀られている。
なお、日豊本線により分断された南側に中之城、南之城などの城域を有していたが、現在では住宅地となっている。
【歴史】 南朝天授元年 / 北朝永和元年(1375年)、島津氏の支族である北郷(ほんごう)氏(都城島津氏)第二代当主北郷義久が築城し、以後北郷氏の本城となった。都島に築城された為、都之城と名付けられ、後に一帯の地名の由来となった。
築城後の天授五年 / 永和五年(1379年)、宗家で従兄の島津氏久が室町幕府の九州探題今川了俊と争い、北朝から南朝方についた為、了俊の五男満範が率いる南九州の国人衆の大軍を迎え撃ったが、辛くもこれを撃退した(蓑原の合戦)。
伊集院氏が支配していた慶長四年(1599年)には庄内の乱の本拠地となった。庄内の乱後、再び北郷氏支配となるが、慶長二十年(1615年)の一国一城令により廃城となり、北郷氏は現在の都城市役所敷地内にあった領主館に移った。