宿南城 (しゅくなみじょう)
最寄地 兵庫県養父市八鹿町宿南1499 2018.8.9
宿南城 (しゅくなみじょう)
最寄地 兵庫県養父市八鹿町宿南1499 2018.8.9
登城ルート(緑線は車道)
林道横の低い切通しから登る
谷筋の左尾根を登る
尾根の最初の切岸
主郭手前の堀切
主郭
宿南城跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高100m】
【感想】 養父市八鹿町宿南の標高150mの山頂に築かれている。浅い堀切や切岸が見られる程度で、目立った遺構は見られなかった。
今回が2回目の挑戦で、案内板や標識は見られず登り口は分からなかった。西側の田中神社付近は民家が建てこみ駐車スペースがなく、東側の墓地南の林道から支尾根を登り、主尾根を南下して頂上に着いた。
【案内】 北麓の市道の表記番地左より林道に入り、墓地先の空き地に駐車した[マップコード194 334 876*72](地図)。
300mほど林道を進み、右側に谷と尾根が見え、そこから直登し尾根に出た。尾根を左に登ってゆくと、浅い堀切や切岸が3段ほどあり、山頂の主郭に着いた。主郭の背後は薮で、はっきりしなかった。
登った後で、居館跡の田中神社(表記番地)を訪れたが、参道から東にフエンス扉があり、ここから登れそうだった。
【歴史】 宿南氏は朝倉氏の流れを汲み、鎌倉時代、宿南の地頭に任じられ、康永年間(1342~45年)この地に築城した。
応仁の乱(1467~77年)では山名氏に属し、京都へ従軍した。
天正五年(1577年)、羽柴秀吉が但馬に進攻、八木城、竹田城を攻略した。このとき、城主宿南信久は小田野にて迎撃するが破れ、信久は光明寺にて自刃した。宿南城も攻められ、落城した。