野尻城 (のじりじょう)
所在地 宮崎県小林市野尻町東麓 2019.3.5 2019.5.5
野尻城 (のじりじょう)
所在地 宮崎県小林市野尻町東麓 2019.3.5 2019.5.5
登城ルート(緑線は車道)
市道の標識
主郭・土塁
2郭・井戸
3郭北の堀切と土橋
3郭
野尻城 2郭跡(地図)
【遺構★★★☆☆】
【感想】 小林市野尻町東麓の北側を城之下川が流れる、標高168mの台地に築かれている。
主郭や2郭は畑となっており、主郭の土塁、主郭・2郭間の堀跡や井戸が残っている。
2ヶ月後に南へ歩いてみると、3郭北の堀切や土橋があり、切岸のある3郭に標柱が建てられていた。多くのサイトで遺構は井戸のみとあるが、よく見ると結構遺構があるものだ。
【案内】 国道268号線「小林市東仲町」交差点より、県道42号線を約900m南下すると、橋を渡った右手に「野尻城井戸跡1400m」の標識が建てられている[マップコード227 417 553*88]。
市道を約1km西に行くと「野尻城址400m」の標識が建てられている[マップコード227 416 668*34](地図)。
大きく右へ曲がり、農道を400m行くと井戸跡に着く。井戸のある所が2郭で西に主郭、南東に3、4郭と並んでいる。主郭との堀も藪の中に見られる。
平成元年(1989年)に野尻町文化財に指定された。
【歴史】 天文年間(1532~55年)に伊東氏により築かれた城とされる。
天正四年(1576年)に島津氏により高原城が落とされると、野尻城は紙屋城、戸崎城共々伊東氏にとっての最前線の城となる。
高原城主となった島津家臣の上原尚近は、このときの野尻城主である福永祐友が島津に内通しているとの偽りの文を佐土原城下にばら撒き、福永と伊東家主君・伊東義祐の離間を画策した。義祐はそれを信じ福永を遠ざけるようになる。
福永はやむなく島津に寝返り、天正五年(1577年)十二月七日 城内に島津の兵を引き入れ、野尻城は島津の城に帰した。
元和元年(1615年)の一国一城令により廃城となった。