市来鶴丸城 (いちきつるまるじょう) (市来城・鶴丸城) (市の史跡)
最寄地 鹿児島県日置市東市来町長里165 2018.12.12
市来鶴丸城 (いちきつるまるじょう) (市来城・鶴丸城) (市の史跡)
最寄地 鹿児島県日置市東市来町長里165 2018.12.12
登城ルート(緑線は車道)
鶴丸小学校西の入口標識
ザビエル像・登り口
二の丸
北西空堀(右が本丸切岸)
本丸虎口・石積
本丸・城址碑
市来鶴丸城跡(地図)
【遺構★★★★☆ 比高60m】
【感想】 日置市東市来町長里にあり、江口川右岸の標高101mの丘陵に築かれている。本丸(市来城)の他、平之城・番屋城・大根城・古城などの郭があるという。
本丸の北西側に一部崩落しているが、深い横堀がある。本丸の切岸は急で北側に崩落部が見られた。
【案内】 県道305号線に面した市立「鶴丸小学校」(表記番地)西から坂道を上った「日置市鶴丸地区公民館」に駐車できる[マップコード147 252 633*61] 。
春日神社の左手に想像図、ザビエル像が建てられている。そこから整備された遊歩道が本丸まで通じておいる。途中に立派な「市来鶴丸城とザビエル」の説明板が建てられている。
日置市の史跡に指定されている。
【歴史】 13世紀初頭、市来家房が最初の城主であった。建武四年(1337年)市来院司系で惟宗姓市来氏で御家人であった市来時家と島津貞久の子・川上頼久がこの城で合戦した。
15世紀半ばに守護島津家領となり、15世紀末に島津薩州家領となった。天文八年(1539年)島津相州家から戦国大名となった島津忠良・貴久領となったが、16世紀末に使用されなくなり、廃城となった。
天文十九年(1550年)六月、イエズス会の宣教師ザビエルが、鹿児島から平戸に向かう途中、当城に12日間滞在した。『現地説明板』より。