都地城 (とぢじょう)
所在地 福岡県福岡市西区大字金武2048 2020.9.19
都地城 (とぢじょう)
所在地 福岡県福岡市西区大字金武2048 2020.9.19
説明板
細川家の蔵・説明板・城址標柱
顕彰碑
北西入口・土塁
都地城跡(地図)
【遺構★★☆☆☆】
【感想】 福岡市西区大字金武の造園業を営まれている民家となっており、西側から北西側に切岸状の斜面が見られる。後裔が住まわれる敷地内に入ることはできなかったが、土塁が残っているらしい。
【案内】 県道560号線北に面した民家の蔵の前に城址標柱、説明板が建てられている[マップコード13 098 618*45]。
入口右手に細川蔵人光行の顕彰碑が建てられている。
【歴史】 細川蔵人光行は京都御所の北面の武士であったが、天文元年(1532年)将軍足利義輝の命により、筑前諸将鎮撫のためこの地に移り築城し、細川若狭守と称した。
永禄元年(1558年)細川光行は、大友宗麟配下で安楽平城主・小田部鎮元との戦いに敗れて討死し、その子・左近助は龍造寺隆信に従った。
天正七年(1579年)龍造寺隆信の軍が三瀬を越えて早良郡へ侵攻すると、左近助もこれに加わり安楽平城に籠もる小田部鎮元と戦った。
豊臣秀吉による九州平定後、細川氏の所領は没収され小早川隆景の名島城に入った。早良郡の代官になったといわれる。小早川隆景移封後は帰農した。