松葉城 (まつばじょう) (岩瀬城)
所在地 愛媛県西予市宇和町上松葉 2020.2.8
松葉城 (まつばじょう) (岩瀬城)
所在地 愛媛県西予市宇和町上松葉 2020.2.8
登城ルート(緑線は車道)
登り口・説明板
東側の郭
松葉城址碑
西側の郭
西園寺公高の墓
松葉城跡(地図)
【遺構★★★★☆ 比高190m】
【感想】 肱川右岸の標高408mの山頂に築かれている。主郭は東西に細長く南側は断崖となっている。
土塁や石積がよく残っており、中央に井戸跡が見られ、松葉城碑が建てられている。
【案内】 国道56号線「下松葉交差点」より東の市道に入り、約400m行くと左側に入口があり、説明板が建てられている(地図)。少し戻った「満慶寺」に駐車できる[マップコード176 720 568*82]。
そこから約1kmの広い遊歩道が設けられ、城跡東の階段に通じている。
国道56号線を北に約4.5km行った古美術店の北に西園寺公高の墓所がある[マップコード176 871 293*85](地図)。
【歴史】 嘉禎二年(1236年)宇和地方は西園寺公経の荘園となっていた。
永和二年(1376年)、西園寺公良の時、松葉城の前身岩瀬城に入城したと云われる。
天文年間、19代西園寺実充は黒瀬城を築き居城を移した。その後黒瀬城の支城として使用された。
西園寺氏は宇都宮豊綱と領土をめぐって争っていたが、弘治二年(1556年)九月、城代上甲光康より報を受けた公高は、急遽狩猟の場から駆けつけ、飛鳥城に来襲した豊綱の軍と得意の槍を持って奮戦するも、敵の矢を受け19歳で討死した。実充の嗣子であったが、これにより実充の甥・公広が20代を継いだ。