蓮華山城 (れんげやまじょう)
最寄地 山口県岩国市玖珂町155 2016.5.18
蓮華山城 (れんげやまじょう)
最寄地 山口県岩国市玖珂町155 2016.5.18
登城ルート(緑は西峰)
林道横登山口(左)
ひよどり越え
主郭跡
祠
西峰展望台
鞍掛山眺望
蓮華山城 主郭跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高430m】
【案内・感想】 玖珂町を南北に通る市道の表記番地より左折、林道を約700m行った所に登山口があり、駐車スペースがある[マップコード115 699 280*04] (地図)。
沢伝いに登ってゆき途中二度沢を横切り、延々登ってゆくと尾根に出る。左に「ひよどり越え」を登り西に行くと、主郭虎口がある。
遊歩道ははっきりとしているので迷うことは無い。それにしても高い城跡だ。
標高576.4m比高約430mの蓮華山山頂の主郭跡に山頂碑が建てられ、祠が祀られている。西に堀切があり、いくつかの段郭を経て約400m行くと、西峰展望台に至る。南に鞍掛山が見下ろせ、山陽道の通る玖珂町の町が一望できる。
【歴史】 築城年代については、関東管領・上杉憲実に従って周防国に下向した太田時直の頃(享徳年間以降)と、大内氏、後に毛利氏に従った椙杜(すぎもり)隆康の時代(天文年間(1532~55年))の築城説がある。
弘治元年(1555年)に、陶晴賢が厳島の戦いで討死し、同年より毛利氏が周防・長門国への侵攻を開始した(防長経略)。
その際に城主であった椙杜隆康は、毛利氏の侵攻前後に毛利元就と誼を通じており、即座に降伏した。
近隣の杉隆泰も降伏したが、隆泰は大内氏とも連携を取っていたとされ、最終的に毛利氏の攻撃を受けることとなった。
蓮華山城は、鞍掛山城のすぐ北にある隣山だったため、毛利軍七千は蓮華山城から出陣した。杉隆泰の居城・鞍掛山城の背後から十一月十四日早朝、奇襲を仕掛けた。不意を突かれた鞍掛方は混乱の最中に壊滅、杉隆泰も毛利氏に降った瀬田城主小方元康の手で討ち取られ、鞍掛山城は落城した(鞍掛合戦)。
その後、玖珂は完全に椙杜氏の領するところとなった。蓮華山城はこの後も玖珂の中心として栄えたが、後に廃城となった。廃城年は不明。