二上山城 (ふたがみやまじょう) (県の史跡)
最寄地 鳥取県岩美郡岩美町岩常699 2018.8.10
二上山城 (ふたがみやまじょう) (県の史跡)
最寄地 鳥取県岩美郡岩美町岩常699 2018.8.10
登城ルート(緑線は車道)
中国自然歩道入口
福部駅方面との分岐点
一の平
二の平
三の曲輪
二上山城 一の平跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高230m】
【感想】 岩美町岩常の標高333mの二上山に築かれている。南西から北東へ向け一直線状に曲輪を連ねている。
一の平、二の平共に広く、草が刈られ、歩行距離は長いが遊歩道もよく整備されている。
【案内】 県道37号線より岩美広域農道に入り、約800m行くと高野坂古墳公園手前に駐車場がある[マップコード125 744 311*85](地図)。
そこから1km行った所に町営の遊歩道があるが、木製階段の老朽化で、現在通行止めとなっている(地図)。
駐車場西より「中国自然歩道」があり約1km登ると福部駅方面との分岐に着く。そこより右に木道を登ってピークを越え1kmほど行くと、城跡下に着く。
浅い堀切があり、急な木道を登ってゆくと、「一の平(なる)」と帯郭がある。
「一の平」は東西約50m南北約30mの広さがあり、構造の説明板が建てられている。
西側に200mに亘って帯郭があり、北に下ると「二の平」がある。東西約100m南北約24mの細長い形状で北端に土塁が残っている。
土塁の右より木製階段を下ると堀切があり、その先に三の曲輪がある(大小8つの郭から成る)その先は町営の遊歩道で通行止めとなっている。
平成十年(1998年)4月21日、鳥取県の史跡に指定された。
【歴史】 南北朝時代に因幡守護となった山名時氏によって、文和年間(1352~56年)に二上山山頂に築城されたと伝えられ、後に守護所となった。
『因幡民談記』によれば、文正元年(1466年)5代守護山名勝豊の時、国の中央、布勢の天神山に守護所が移されたと伝えられる。
守護所が布勢天神山城へと移ったのち、二上山城と岩常の集落は荒廃した。
その後、但馬山名氏一族の三上兵庫頭豊範を城主として迎えた。三上兵庫頭は二上山城の不便さをいとい、新たに道竹城を築いて移った。二上山城には番兵を置いたという。
天正九年(1581年)羽柴秀吉による鳥取城攻略によって毛利氏勢力は因幡を去り、旧巨濃郡は垣屋光成が領することとなった。垣屋氏は浦富の桐山城を居城としたが、慶長五年(1600年)の関ヶ原の戦いで垣屋恒総が西軍に与して滅んだ。二上山城もこの頃に廃城になったと考えられる。