水賀城 (みずがじょう) (水ヶ城・水上城)
最寄地 大分県臼杵市末広727−1 2019.3.7
水賀城 (みずがじょう) (水ヶ城・水上城)
最寄地 大分県臼杵市末広727−1 2019.3.7
登城ルート
入口の橋を渡って右へ300m進む
鉄塔標柱(63号へ)
7合目の鉄塔
帯郭・主郭
南の郭
臼杵時直の墓
臼杵統景の墓(右壇上)
水賀城跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高200m】
【感想】 標高280.9mの水ヶ城山から北へ伸びた尾根の標高212mの山頂に築かれている。
北側に南北に細長く広い郭があり、南側に壇状の主郭と帯郭がよく残っている。
【案内】 県道21号線より市道を南へ600m行き「日本新素材(株)九州工場」前の橋手前に駐車スペースがある[マップコード186 752 505*06]。その先の空き地にも駐車できる。
ガードレールのある橋を渡り、対岸の道を川沿いに約300m行き、2つ目の橋を渡った先に鉄塔標柱(63号へ)がある(地図)。
そこより砂防ダム上流を横断し、沢の左を登り、再び沢を渡って鉄塔標柱より九十九折の階段の尾根道を南東に登る。
城跡北西の鉄塔があり、登ってゆくと虎口に着く。北側に広い郭が広がり、南へ行くと一段高い主郭があり周囲を取り巻く帯郭がある、
南西に下ると、鉄塔の建つ郭があり、その先に浅い堀切がある。
臼杵氏の墓は分かりにくいが、臼杵市江無田の細い道のカーブミラーに入口があり[マップコード186 724 504*82](地図)、その先の民家の間にある(地図)。 臼杵氏初代臼杵時直、六代臼杵長景、七代臼杵鑑速、そして天正六年の耳川合戦で討死した臼杵統景の墓が並んでいる。(6代、7代は読めなかった)
【歴史】 永正二年(1505年)臼杵氏6代臼杵長景により築城されたと云われる『豊後国史』。
臼杵氏ははじめ大神氏の一族であったが、大友氏の一族・戸次氏から、戸次貞直の子の直時(時直)を婿養子に迎え、大友氏一族となっている。
臼杵長景は臼杵庄水賀城主で、大友義鑑の加判衆を務めるなど、大友氏の重臣として活動した。平素は、麓の江無田台・戸室台に館を構えていたと考えられている。