潮見城 (しおみじょう)
所在地 佐賀県武雄市橘町永島 2020.3.11
潮見城 (しおみじょう)
所在地 佐賀県武雄市橘町永島 2020.3.11
登城ルート(緑線は車道)
潮見神社中宮社
登り口・標識
堀切
北の郭・八幡宮
主郭
南端の石積
潮見城跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高140m】
【感想】 六角川左岸の標高151.4mの山頂に築かれている。
南北2段になった細長い縄張りで、南北両側に堀切、竪堀が残り、虎口や主郭に石積が残っている。
【案内】 県道330号線が長崎自動車道に差し掛かる南側から潮見神社中宮に向かい、そこに駐車できる[マップコード104 320 596*85](地図)。
南へ50m程行くと「潮見古墳・潮見城跡⇒」の標識がある。右へ曲り登ると、潮見古墳があり、その前を西に登って行き尾根から南に登る。
登ってゆく右手に堀切とそれに続く竪堀がある。南に登ると、八幡宮の石が祀られた櫓台がある。南北に細長い郭を南に行くと、三角点のある主郭がある。南尾根に浅い堀切が残っている。
【歴史】 嘉禎三年(1237年)伊予の橘公業が、肥前国長島荘に移り、中宮社付近に館を構え、のちに渋江氏を名乗り築城したとされる。
戦後時代、塚崎城(武雄城)の後藤氏に属した。永禄年間(1558~70年)有馬義貞に攻められ落城した。
天正初め頃、後藤氏は龍造寺隆信に従い、潮見城は支城として修復された。