船上城 (ふなげじょう) (林ノ城)
最寄地 兵庫県明石市新明町10‐33 2019.4.14
船上城 (ふなげじょう) (林ノ城)
最寄地 兵庫県明石市新明町10‐33 2019.4.14
登城ルート
入口
堀跡の古城川
土塁・古城御大神
北側台地・堀跡の水田
織田家長屋門
船上城跡(地図)
【遺構★★☆☆☆】
【感想】 明石市新明町の本丸にあったという台地に古城御大神が祀られ、北側に堀跡の水田が見られる程度で、遺構はほとんど無い。
【案内】 県道718号線「明石警察署前」交差点より南に入り、明石警察署先を右折、西に約100m行った左の空き地に駐車した[マップコード31 222 220*13]。
そこから北に歩き表記番地右側を行くと右に水路、左に田や台地が見える。
本丸跡とされる台地に古城御大神が祀られ、水堀跡の田圃や古城川が流れている。
また船上城の長屋門が、明石公園の水堀前の道路に面して織田(おた)家に長屋門が移築されている(地図)。
【歴史】 永禄年間(1558~70年)、三木城主・別所長治の叔父別所吉親が築城したといわれている。
その後、大屋肥後守が城主となり、天正六年(1578年)の三木合戦に織田信長方の稲田植元に占領され、天正八年(1580年)に蜂須賀正勝に与えられ、生駒政勝に城主が移り、天正十三年(1585年)に一旦廃城となった。
天正十三年(1585年)豊臣秀吉による国替えで明石則実に代わって明石郡を与えられた高山右近は、高槻城から一旦枝吉城に入城し、林ノ城の跡に船上城の築城と城下町の建設に取り掛かった。
天正十四年(1586年)には城と城下町は完成したのではないかと考えられている。
元和三年(1617年)、信濃の小笠原忠政(のち忠真)が明石城主として赴任し船上城に入ったが、元和六年(1620年)明石城の完成とともに廃城となった。