上平寺館 (じょうへいじやかた) (京極氏館)
最寄地 滋賀県米原市上平寺194 2016.10.25
上平寺館 (じょうへいじやかた) (京極氏館)
最寄地 滋賀県米原市上平寺194 2016.10.25
内堀跡
蔵屋敷跡
京極氏屋形跡
京極氏庭園跡
京極氏一族の墓
上平寺館跡(地図)
【遺構★★★☆☆】
【感想】 内堀跡はコンクリートで固められているのは残念。居館跡は家臣の屋敷を含め杉林の中に歴史を感じることが出来た。
【案内】 「上平寺集会所」[マップコード242 185 159*54](表記番地)に行く道路に上平寺館「一之門跡」があり、集会所前に案内板が建てられ、駐車場が用意されている。
北に内堀跡があり、薬師堂の先が館跡で、「弾正屋敷跡」、道路向いに「隠岐氏屋敷跡」、道路右に広い「蔵屋敷跡」、その上段に「京極氏屋形跡」が並んでいる。
京極氏屋形跡には石庭の庭園跡が残っている。その先に伊吹神社があり、参道左に京極氏一族の墓がある。京極氏ゆかりの女人の墓と云われている。
平成十六年(2004年)2月27日、上平寺城、弥高寺と共に国の史跡に指定された。
【歴史】 京極高清・高広父子は、一族の内紛で浅井氏の居城である小谷城(京極丸)にて暮らす。
15世紀末からの一族の内紛を永正2年(1505)に収めた京極高清は、北近江を支配するために柏原館を廃し、伊吹山南山麓の上平寺に新たに城館を築いた。
大永3年(1523)の国人一揆により落城するまで、戦国大名の城館として北近江の政治・文化の中心として機能した。
京極髙清は天文七年(1538年)に没した。墓は京極家の菩提寺徳源院(米原市清滝288)にある。