畠中城 (はたけなかじょう)
所在地 大阪府貝塚市畠中2丁目8−11 2022.3.17
畠中城 (はたけなかじょう)
所在地 大阪府貝塚市畠中2丁目8−11 2022.3.17
南側の要家長屋門
北東側の要家土塀
北西の堀・土塁
畠中城跡(地図)
【遺構★★★☆☆】
【感想】 貝塚市畠中の表記番地が本丸跡に建てられた要家の庄屋屋敷である。南東側本丸跡に要家長屋門があり、一周土塀が巡り、北西の崩れた土塀から空堀と土塁が窺えた。
【案内】 府道40号線「加神2丁目」交差点より、西に入り70m先を左折してゆくと要家の土塀横に着く[マップコード106 672 141*64]。
【歴史】 天文十二年(1543年)頃、神前(かむさき)清実の屋敷のあった場所に、根来衆の支城として畠中城を築城した。
天正五年(1577年)、織田信長の紀州雑賀討伐戦において、雑賀衆に味方して篭城した。
天正十三年(1585年)、豊臣秀吉の根来攻めの際、中村一氏・福島正則らに攻められ、落城した。
神前宗行の子孫・要源太夫は神前村・畠中村の庄屋となり、畠中城の本丸跡に庄屋屋敷を構えた。