竜山城 (たつやまじょう) (滝山城)
最寄地 山口県下関市豊田町大字殿居1221 2019.5.10
竜山城 (たつやまじょう) (滝山城)
最寄地 山口県下関市豊田町大字殿居1221 2019.5.10
登城ルート(緑線は車道)
南側遠景
最後の林道カーブ付近の崩落・倒木
保安林の標柱・谷を西へ登る
3郭
主郭
2郭・主郭切岸
竜山城跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高220m(林道カーブより)】
【感想】 東の開作川と西の小野川に挟まれた標高376mの城山に築かれている。
主郭は東西に細長く、東側に2郭があり、南東に3段の郭がある。また2郭の北東に1段の郭がある。
遠景からもわかるように三角形の山容で、南側斜面は急で立ち木に掴らないと登れなかった。切岸だけの防御で、堀切は少なかった。登る人も無く、全体的に鬱蒼としている。
【案内】 「西教寺」(表記番地)北の県道435号線から林道が始まる[マップコード268 618 664*32](地図)。
集落の先に電気柵ワイヤーがあり開け閉めして1.6km行った林道のヘアピンカーブ手前が広く駐車できる[マップコード268 678 186*14]。ナビにこの林道は表示されないが、目標として使える。
そこから荒れた林道をルート図のように約1.4km登る。倒木のある最後のカーブから100m程行き、次のカーブ左の谷筋に「水源かん養保安林」の標柱が建てられている(地図)。
そこより西に谷を40m程登るとマーキングテープがあり、尾根に出て右(北)に登る。所々にマーキングがあり、中腹に浅い堀切がある。
さらに急な尾根を登ると3郭があり、その北に1段高く岩のある2郭がある。西上段に広い主郭があり、三角点が設置されている。
2郭南東に段郭が残っている。
【歴史】 築城時期など詳細は不明であるが、弘治三年(1557年)大内義長を滅ぼした毛利元就は、形山城主・中村次郎左衛門就久を竜山城に在城させた。
天正十九年(1591年)、吉川元春の次男繁沢元氏が竜山城主となった。
慶長五年(1600年)関ヶ原の戦いの後、小早川秀包の嫡男・毛利元鎮は7千石を与えられ、長門国阿川・滝部・殿居を領した。
しかし、竜山城は使用されず、そのまま廃城になったと考えられる。