原田城 (はらだじょう)
所在地 大阪府豊中市曽根西町4‐4‐15 2015.5.3
原田城 (はらだじょう)
所在地 大阪府豊中市曽根西町4‐4‐15 2015.5.3
模擬石垣・標柱・説明板
説明板
復興虎口・門
土塁
【遺構★★☆☆☆】
【案内・感想】 旧羽室家住宅(表記番地)南に「原田城跡」の標柱、説明板が建てられている[マップコード1 670 327*20](地図)。道路は狭く駐車スペースは少ない。
門を入ると旧羽室家住宅があり、地元自治会で運営され、無料で拝観できる。住宅の西に土塁が残り、築山として利用され、庭園が造られている。
豊中市の史跡に指定されている。
【歴史】 築城年代は明らかではないが、室町時代末期に書かれた『足利季世記』によると、天文十年(1541年)十一月に管領細川晴元の家臣・木沢長政が原田城を攻めたとの記述があり、少なくとも十六世紀初頭には築かれていたと考えられる。
原田城には、主城の北城(当地)と南東約300mに砦の南城があり、北城は東西約160m・南北約320mの規模を有し、巾約5m高さ約3mの土塁が巡らされ、現在は残っていないが堀もあったと云われている。
天文十六年(1547年)には城主は不明(『摂津志』には三好日向守長逸)だが、細川晴元勢三万騎の攻撃によって陥落した。
また天正六年(1578年)織田信長による、伊丹有岡城に立て籠もる荒木村重討伐の際、原田城は信長軍の付城として信長配下の武士が在番していた。
慶長年間に廃城となった。『豊中市教育委員会説明板』より。