会下城 (えげじょう) (大坂の城)
最寄地 鳥取県鳥取市気高町会下67 2019.10.24
会下城 (えげじょう) (大坂の城)
最寄地 鳥取県鳥取市気高町会下67 2019.10.24
登城ルート(緑線は車道)
五輪塔群・登り口
南の郭
主郭・土塁
北背後の堀切
南の郭
会下城跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高70m】
【感想】 気高町会下の標高104mの南北に長い丘陵に築かれている。東約1.6kmには勝山城がある。
主郭は最高所の大きな窪みのある郭と思われ、背後の高土塁、堀切が見られ南側は水道施設が埋設されている。
南側に土橋付の堀切が横残っているが、他の堀切は不明瞭であった。
【案内】 県道198号線より広域農道を通ってゆくと、表記番地の先に五輪塔群があり、登り口の左に説明板が建てられている[マップコード345 589 400*56]。説明板の前が広く駐車できる。
急な斜面をジグザグに登ってゆくと、土橋付の堀切があり、2段ほど登ると水道施設のある郭がある。
その北にやや広く、大きな窪みの残る郭がある。北側は高土塁となって背後に堀切がある。
その先にも、不明瞭ながら段があり、堀切が見られる。
【歴史】 『因幡志』によると、逢坂与十郎が居城しており、村の前の田圃に屋敷があったという。
元亀・天正(1570~93年)の頃、姉泊の浜頭から大軍が押し寄せ、与十郎は辛うじて落ち延びたが、城はほどなく落城したという。