滝山城 (たきやまじょう)
所在地 兵庫県神戸市中央区葺合町 2017.12.9 2017.12.10
滝山城 (たきやまじょう)
所在地 兵庫県神戸市中央区葺合町 2017.12.9 2017.12.10
登城ルート
登り口・城跡碑
東郭の最高所・三角点・奥に東側段郭
空堀と説明案内板
主郭東1番目の郭
主郭東2番目の郭
主郭・城址碑
西側の土橋と2重堀切
滝山城跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高270m】
【感想】 山陽新幹線「新神戸駅」北西の標高323mの城山に築かれており、主郭の東に3段の郭があり、空堀を挟んで東の郭がある。主郭最高所に城址碑が建てられ西側に降ると2重堀切が残っている。
【案内】 山陽新幹線「新神戸駅」前の有料駐車場が利用できる[マップコード12 428 294*42](600円)。
生田川左側の中央通路を通って北に50mほど行くと左側に登り口の階段がある(地図)。ここより北に行くと布引滝があるので、帰りに見物するとよい。
登り口から約1.2kmの遊歩道が城山に通じており、迷う事はない。東郭群の北側を通って西の空堀に説明板が建てられている。
【歴史】 滝山城の築城年代は定かではないが、文献上の初見は『正慶乱離志』で、正慶二年(1333年)赤松円心則正が護良親王の令旨を受けて挙兵している。
西方の再度山城、東方の摩耶山城を両翼に置き、大阪湾の舟運の監視など戦略上重要な拠点であった。
その後、再三戦火の舞台となり、滝山城主は円心の息子赤松範資になったり、後醍醐天皇方に渡ったり、再び範資の息子赤松光範に戻ったりした。
永徳元年(1381年)十月三日に赤松光範が死去すると、文明年間には赤松氏の家臣であった井上成陰が城主になっていたようだが、詳細は不明で、一旦廃城になっていた可能性もある。
戦国時代、三好長慶が西摂の拠点として家臣の松永久秀に命じ大幅に改修させている。
永禄七年(1564年)七月四日に長慶が死去すると、滝山城の運命も大きく変化し、後継をめぐって三好三人衆と久秀が争うことになる。
三人衆方であった篠原長房が城主となったが、織田信長が永禄十一年(1568年)九月二十八日に三人衆の1人三好長逸が立てこもる芥川山城を落城させると、篠原軍も滝山城を放棄した。
その後花隈城の支城となり池田泰長が城主となったようだが、荒木村重の謀反(有岡城の戦い)により花隈城に立て籠もった時(花隈城の戦い)には、滝山城はすでに放棄されていたと思われ、逆に織田方の攻略の拠点として使用されたようである。