永原御殿 (ながはらごてん) (永原城)
所在地 滋賀県野洲市永原1093 2016.12.26
永原御殿 (ながはらごてん) (永原城)
所在地 滋賀県野洲市永原1093 2016.12.26
永原御殿阯碑
本丸東側堀跡
本丸南側堀跡と石垣
二の丸南側外堀跡・看板
移築表御門・石垣
永原御殿本丸跡(地図)
【遺構★★☆☆☆】
【感想】 本丸には土塁や石垣が残っているらしいが、放置された竹林となり個人所有という事もあり、断念した。周囲をめぐって、堀跡を確認した。
【案内】 二の丸は上田産業(株)(表記番地)敷地となっている。看板の建てられている所が外堀跡と記されている。
北に内堀を挟んで本丸があり、内堀の石垣が残っている。東側の埋められた内堀跡に説明板、御殿阯の石碑が建てられている。
本丸周囲には堀跡が確認できる。本丸内は密生した竹林となり踏み入る余地もない。
北東にある浄専寺(野洲市北953)に御殿の石垣、表御門が移築されている。古いためか、つっかえ棒で補強されている。
【歴史】 慶長五年(1600年)九月十五日、関ヶ原の戦いに勝利した徳川家康は直後本隊及び諸大名の軍勢を中山道から続々上洛させ、自身は旗本に守られて下街道(浜海道)を通り、途中一泊し、十七日野洲市北村の元佐々木六角氏一族の国侍永原氏の旧館(永原城)へ入った。
以来、「将軍上洛往復時使用御殿」と定め1千石を維持費として与えた。
寛永十一年(1634年)家光の上洛に際し、それまでの御殿の約6倍の規模に大改修された。
その後、将軍上洛が停止されると、貞享二年(1685年)には御殿は廃止され、取り壊された。