貝吹山城 (かいぶきやまじょう)
最寄地 奈良県高市郡高取町与楽1164 2022.3.17
貝吹山城 (かいぶきやまじょう)
最寄地 奈良県高市郡高取町与楽1164 2022.3.17
登城ルート
登り口・道標
土橋
東側3段の郭
主郭・城址碑
西側の郭
貝吹山城跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高110m】
【感想】 高取町与楽と橿原市南妙法寺町の境にある標高209.9mの貝吹山に築かれている。
城址碑の建つ主郭の西に広い郭があり、東側に3段の郭が並んでいる。登ってくる途中の南側尾根に土橋が見られる。
【案内】 「飛鳥病院」(表記番地)東側の町道に登り口がある[マップコード36 468 328*73](地図)。南側に駐車余地がある。
遊歩道が整備され貝吹山山頂の城跡まで通じている。
【歴史】 文治元年(1185年)平家追討に参加し、軍功のあった宇野親家は頼朝より越智郷を賜り、地名より越智氏を名乗り越智氏初代となった。
築城時期は定かでないが、越智氏により越智城の詰城として築かれ、高取城を支城としていた。
天文十五年(1546年)には筒井順昭によって攻められ城を奪われると、越智氏は天文十八年(1549年)と弘治三年(1557年)の二度にわたり奪回を試みたが、いずれも失敗に終わった。
その後、永禄九年(1566年)瓜田氏の内応によって越智伊予守は奪回に成功した。
その後は織田信長に臣従して大和に勢力を拡大した松永久秀に攻められ、二度の攻撃を撃退したものの最終的には永禄十二年(1559年)降伏した。
天正八年(1580年)、織田信長によって大和一国破却令が出され、貝吹山城は廃城となった。
天正十一年(1583年)22代越智玄蕃家秀は内紛により暗殺され、越智氏は衰亡した。