楠目城 (くずめじょう) (山田城)
最寄地 高知県香美市土佐山田町楠目1973 2018.3.8
楠目城 (くずめじょう) (山田城)
最寄地 高知県香美市土佐山田町楠目1973 2018.3.8
登城ルート
登り口・説明板
2郭南下段の横堀・土橋
2郭の土塁
主郭・土塁
主郭と詰郭間の空堀
詰郭・土塁
詰郭北の空堀
楠目城 主郭跡(地図)
【遺構★★★★☆ 比高60m】
【感想】 土佐山田町楠目の標高127mの丘陵に築かれ、高い土塁を巡らせた主郭(1の段)を中心に北に詰、南西に2の段、西に出丸(茶ヶ森)を配した大規模な山城である。放置され倒木などあるが、空堀、堀切、高土塁などがよく残っており、見所は多い。
【案内】 国道195線より鏡野中学校(表記番地)へ向かい、その手前にある市民グランド駐車場が利用できる[73 384 844*10]。
鏡野中学校南の交差点より東に約200m行くと登り口がある(地図)。北に少し行くと立派な屋敷の東に説明板が建てられている。
そこより細い道があり、登ってゆくと右に社があり2郭方面に行ける。社の前を左に行くと、横堀、土橋があり堀切に出る。その右が茶ヶ森と呼ばれる出丸で横堀が2条残っている。
東に行くと2の段(2郭)があり、その北最高所に土塁を巡らせた主郭がある。その西下段に竹林となった郭があり、北に行くと詰がある。詰の北側に土塁が残りその下段に深い空堀が残っている。
【歴史】 鎌倉時代、建久年間(1190~99年)源頼朝の命を受けた中原太郎秋家が土佐に下向し、香我美町宗我部(そがべ)、深淵の二郷の地頭職に着任し、楠目城に移り山田氏を名乗ったといわれている。
土佐山田氏は土佐七雄にも数えられ、香宗我部氏と同族である。
永正五年(1508年)、本山養明らとともに岡豊城の長宗我部兼序を討つ。
天文十八年(1549年)、長宗我部国親は山田城攻略を行い、城主山田元義を討ち取り、落城させた。