一ノ岳城 (いちのたけじょう)
所在地 福岡県那珂川市市ノ瀬/五ケ山/成竹 2021.4.12
一ノ岳城 (いちのたけじょう)
所在地 福岡県那珂川市市ノ瀬/五ケ山/成竹 2021.4.12
登城ルート(緑線は車道)
林道から作業道へ
城跡南東側(左へ・直進で東峰)
南側の段郭
主郭
北西の大堀切
一ノ岳城 主郭跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高370m】
【感想】 那珂川市大字市ノ瀬、五ケ山、成竹に跨る標高648mの一ノ岳に築かれている。
主郭を中心に南に岩場を利用した段郭があり、北西に大堀切を挟んで北西の郭がある。堀切に続く横堀の西側斜面に畝状竪堀がよく残っている。
東峰には行っていないが、主郭に続く尾根鞍部に石垣があるようだ(残念)。
国土地理院に記されている一ノ岳は西方にあり、地元では陣ノ尾山と呼ばれており、もともと一ノ岳は城跡のある山頂である。
【案内】 南畑ダムの国道385号線に通行止めの林道入口がある[マップコード419 035 531*08](地図)。
約600m先から通行止めとなっておりさらに350m程行った右に作業道登り口がある(地図)。雨でほじくられた急な作業道を登って行くと、作業道は左に曲がる所があり、そこから直進する(マーキングあり)。城跡下から左に道があり主郭の南尾根に出、段郭や2郭を経て主郭に着く。
主郭には石が散乱し、三角点がある。北西に下ると石積みや大堀切、横堀が見られる。
横堀の土塁の下に畝状竪堀群があり、堀切の先に土塁、北西の郭がある。その先に堀切があり、尾根に続いている。
【歴史】 築城時期など不明だが、戦国時代に勝尾城主・筑紫惟門が改修して重要な拠点とした。
永禄十年(1567年)高橋鑑種や原田了栄、秋月種実、宗像氏貞らと共に挙兵したが、筑紫惟門は勝尾城を逃れて一ノ岳城に入り大友氏と戦うが降伏した。
天正十四年(1586年)島津氏によって勝尾城を攻略され、筑紫広門は大善寺に幽閉され、一ノ岳城は秋月氏の持城となった。
翌、天正十五年(1587年)豊臣秀吉の九州征伐によって島津氏が八代に退去すると、筑紫広門は一ノ岳城を奪還し、さらに勝尾城をも奪い返した。
これによって筑紫広門は豊臣秀吉より筑後国上妻郡に1万8千石を与えられ筑後国山下城主となった。