津田城 (つだじょう) (国見山城)
最寄地 大阪府枚方市津田山手2丁目11−1 2018.7.11
津田城 (つだじょう) (国見山城)
最寄地 大阪府枚方市津田山手2丁目11−1 2018.7.11
登城ルート
京阪道路東の登り口
土塁
通路左側平坦地・国見山城跡の標識
国見山頂上
津田周防守正信の墓碑
津田城跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高180m】
【感想】 標高284mの国見山山頂に物見台を置きその東の谷に曲輪を配置した谷戸構となっており、北側谷筋に土塁が残っている。堀切や空堀は見られなかった。
都市の中のハイキングコースとなっており、ハイカーも多いらしく、訪れた時も5、6名と行き会った。
【案内】 第二京阪道路に沿った東側の一方通行道路左に国見山ハイキングコース登り口があり駐車できる[マップコード11 760 817*88](地図)(約1.4km)。
東に600mほど登ってゆくと、森下仁丹(表記番地)南の配水施設前入口と合流する(地図)。道路終端に駐車でき、ここからは約800mである。
案内図が建てられており、南東へ登ってゆくと土塁が見え、城域に入る。
通路の両側に平坦地があり小さな「国見山城跡」の標識が建てられている。尾根の左に休憩所、右に少し登ると細長い物見台がある。
また、第二京阪道路を潜って西へ行き、右折した住宅団地の一角に津田周防守正信の墓碑が建てられている(地図)[11 759 862*05]。
【歴史】 築城時期は定かでないが、津田周防守正信が居城として築き、津田氏初代となり、津田の地を統治した。正信は文亀三年(1503年)87歳で没した。
その後、2代備後守正忠、3代周防守正明と続き、正明は飯盛山城主・三好長慶に従い勢力を伸ばした。4代主水頭正時の時、天正三年(1575年)織田信長の軍勢により平定され津田氏は没落した。