土居屋敷 (どいやしき) (県の史跡)
所在地 広島県広島市安佐北区三入南1丁目11 2019.3.9
土居屋敷 (どいやしき) (県の史跡)
所在地 広島県広島市安佐北区三入南1丁目11 2019.3.9
南側石垣・説明板
門跡石垣
熊谷城主之旧趾の碑
土居屋敷跡(地図)
【遺構★★★☆☆】
【感想】 根の谷川左岸、可部変電所南東に土居屋敷跡の長さ約30mの両面に石垣を設けた石塁がある。一部崩れているものの、巨石を使った石垣がよく残っている。石垣の南端に説明板が建てられている。
屋敷跡は石垣の東の40×50m程の空き地と思われる。
【案内】 国道183号線「土居橋西詰」交差点より根の谷川「土居橋」を渡って、200mほど行った空き地に駐車した[マップコード22 707 381*66]。
そこから北に約150m行き2階建てのアパート手前を右に行くと、広い空き地があり、その北西の変電所との間に石垣が残っている。
昭和二十六年(1951年)4月6日、広島県の史跡に指定された。
【歴史】 安芸熊谷氏当主・熊谷高直(1527~79年)によって、高直自らの居城である三入高松城の北麓に屋敷を建てたと云われる。
三入高松城は詰の城としての役割を担い、土居屋敷で熊谷氏の日常生活が営まれていた。
約20アール(40×50m程)の方形の敷地には石垣がめぐらされ、居館の西方には根の谷川、北には堀を備え、近世的な城郭としての機能もあったものと思われる。
天正十九年(1591年)、広島城の一応の完成により、当時の当主・熊谷元直もこの住み慣れた三入庄を離れ、広島に移った。
慶長五年(1600年)、関ヶ原の戦いに敗れた毛利氏の防長移封に従い、当時の当主・熊谷元直も萩に移住し、およそ350年に亘る熊谷氏の三入庄支配は終焉を迎えた。この時に土居屋敷も破却されたと思われる。