佐世保城 (させぼじょう)
最寄地 長崎県佐世保市八幡町17-18 2015.5.11 2019.12.13
佐世保城 (させぼじょう)
最寄地 長崎県佐世保市八幡町17-18 2015.5.11 2019.12.13
登城ルート
堀切への入口
主郭2郭間の堀切
主郭石垣
主郭
南側の虎口・石垣
2郭
佐世保城 主郭跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高30m】
【感想】 佐世保川の東の標高71mの丘陵にあり、石垣(石積み)が点在して残っている。北東尾根に深い堀切があり、東の2郭にはアパートが建てられ北側の一部が残っている。
狭い坂道で駐車余地はないので、亀山八幡宮より徒歩を勧める。
【案内】 国道35号線「佐世保市役所」交差点より東に入り、すぐ左折して行った「亀山八幡宮」(佐世保市八幡町3−3)駐車場が利用できる[マップコード89 056 310*80]。
そこより北東に約400mの坂道を登って行き「八幡町公民館」(表記番地)の石段を登り、公民館西よりフエンスを開け閉めして、石段の先の斜面を登ると、曲輪に出、右に登ると主郭がある。
「八幡町公民館」前を進み、車道の終りから石段を登ると堀切があり、左にロープがを伝って主郭へ行け、右の小山が2郭でその先にはアパートが建てられている。
【歴史】 築城年代は定かではないが、永徳年間(1381年~84年)松浦党(まつらとう)の一族佐世保氏によって築かれたと云われる。
戦国時代、相神浦松浦家の大智庵城主松浦政(まさし)の弟、松浦諫(いさむ)が佐世保を領して佐世保氏を名乗ったという。
明応七年(1498年)十一月、相神浦松浦家が平戸松浦家に敗れた後は、平戸松浦家の鼻繰城主遠藤但馬、その後は赤崎伊予が城主となったという。