世知原氏館 (せちばるしやかた)
所在地 長崎県佐世保市世知原町中通102 2019.12.13
世知原氏館 (せちばるしやかた)
所在地 長崎県佐世保市世知原町中通102 2019.12.13
天満宮の石塁
西側石垣
天満宮南の平坦地
世知原甲斐守修理誕生之地の碑
世知原氏館跡(地図)
【遺構★★★☆☆】
【感想】 天満宮の建つ石垣で囲まれた一帯が世知原氏館跡で、石垣が北面を中心によく残っている。
天満宮の西に平坦地があり、そこに「世知原甲斐守修理誕生之地」の石碑が建てられている。南側には後裔の世知原家がある。
【案内】 佐世保市世知原町中通の表記番地北東に天満宮が祀られている[マップコード458 016 165*12]。その西側に及ぶ一帯が館跡である。
【歴史】 築城年代ははっきりしないが、応永年間(1394~1428年)頃、世知原市正によって築かれたと云われる。
戦国時代、平戸松浦氏の勢力下となり、直谷城主であった志佐純元の4男定治が百枝(のち世知原)甲斐守仙甫の養子となって家督を継いだ。
その後、定治は佐川純昌と名前を変え、佐川主馬の時に松浦隆信によって改易された。
文禄元年(1592年)豊臣秀吉による朝鮮出兵では、世知原修理と都蔵寺式部も平戸の松浦鎮信の配下として出陣した。