常山城 (つねやまじょう)
所在地 岡山県玉野市宇藤木 2018.3.10
常山城 (つねやまじょう)
所在地 岡山県玉野市宇藤木 2018.3.10
登城ルート
登り口
底無井戸
惣門丸
段郭
主郭・碑
2郭にある供養塔・五輪塔
城主夫妻の供養塔
常山城 主郭跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高270m】
【感想】 児島湾やその干拓地の西、標高306.8mの常山に築かれており、主郭、2郭や東側に段郭、惣門丸、北側のテレビ塔の建つ頂上の郭(栂尾丸)などがある。独立峰であり堀切、空堀などはほとんど見られない。
供養塔の前に佇めば、天正三年の常山合戦で悲運の死を遂げた女性たちの姿が偲ばれる。
【案内】 宇野みなと線「常山駅」より南西に200mほど登った所に駐車場がある[マップコード19 407 215*35]。
交通安全ボランティアの話によると、児島湾を望む高台で元テレビ塔管理の官舎跡であったそうだ。そして車道が鉄塔まで設けられたが、現在は途中に崩落個所があり放置されているとの事だった。
という事で20mほど先の階段から登ることにした(地図)。獣除けフエンス扉より入り、落葉の中に遊歩道がうっすら見えている。
九十九折れの遊歩道は、マーキングや石畳の坂があり迷う事はない。7合目付近に小屋掛けが崩落した「底無井戸」がある。
尾根に出左に少し行くと「惣門丸」の平坦地があり児島湾や干拓地が眼下に望める。
戻って仏像のならぶ平坦地より南西に登ってゆくと、大小4段の郭を経てテレビ塔の建つ腰郭に着く。さらに登ると三角点の主郭があり北に腰郭がある。
主郭には「城主上野隆徳公碑」と刻まれた石碑、展望台が建てられている。北に階段を下ると、2郭 があり、常山合戦で亡くなった常山女軍40名の供養塔、五輪塔が祀られている。その横に「常山女軍之碑」の石碑が建てられている。
【歴史】 文明年間(1469~86年)に備中の戦国大名・三村氏の姻戚である上野氏によって築かれたとされるが、詳細については不明である。以後、備中上野氏の居城となり、上野肥前守隆徳が最後の当主となった。
天正三年(1575年)六月六日、小早川隆景の大軍に三方より攻められ、城主上野肥前守隆徳は応戦するも、多勢に無勢、翌日自刃した。その妻鶴姫以下34名の侍女達も長刀で奮戦したが、次第に討ち取られ、鶴姫は城中に引き上げ自刃した。
豊臣時代には宇喜多秀家の所領となり、戸川秀安が城主となった。山麓には秀安の墓と位牌所・友林堂(友林は秀安の号)がある。
慶長五年(1600年)の関ヶ原の戦いで宇喜多氏が改易となり、小早川秀秋が当地の領主となるとその家臣の伊岐真利が城主となった。
慶長八年(1603年)小早川秀秋が病死し改易となると、池田忠継の所領となり忠継は常山城を廃城とした。