大渡城 (おおわたりじょう) (美袋城)(みなぎじょう)
最寄地 岡山県総社市美袋844-2 2017.12.16
大渡城 (おおわたりじょう) (美袋城)(みなぎじょう)
最寄地 岡山県総社市美袋844-2 2017.12.16
登城ルート
登り口
南西側の郭
石積
主郭入口・秋葉神社
主郭
主郭北東2条目の堀切
大渡城 主郭跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高120m】
【感想】 高梁川岸に突き出た秋葉山と呼ばれる標高302mの尾根先端上にある。主郭の西に階段状の3つの郭があり、主郭の東の尾根に2条の堀切がよく残っている。
【案内】 国道180号線より美袋(みなぎ)集落の細い道を東に行った表記番地先に登り口の雨水溝蓋の通路があり、その向いに駐車させてもらった[マップコード111 797 868*21](地図)。
幅1mほどの通路より入り、登ってゆく。少し登ると左に秋葉神社が見え、その前の九十九折の落葉で滑る道を登ってゆく(秋葉神社の参道)。
西側の郭に出、東側(右)に2段の郭がありその東に石積が残り、社がある。その上段に主郭がある。
主郭は東西20m南北10mほどで細長く、北東側に下ると2条の堀切が残っている。
【歴史】 永正年間(1504~21年)、 陶山備中守泰高の子孫・田辺出雲守高倫(たかみち)が城主であった。
高倫の孫の光吉が毛利氏に属した為、美袋から串山城(福山市津之郷町)へ移った。その後、三村元親に属する結城民部丞忠秀が居城とした。
天正二年(1574年)毛利・宇喜多連合軍と三村勢の間で合戦が起き(備中兵乱)、天正三年(1575年)正月二十日、大渡城主・結城忠秀は毛利勢に開城を迫られ、降伏し落城した。結城忠秀は児島へと流された。
三村氏の居城・備中松山城が落城後、大渡城は破却された。