大三岳城 (おおみつだけじょう) (大三ヶ岳城・三岳城)
最寄地 福岡県北九州市小倉南区大字辻三307 2021.4.10
大三岳城 (おおみつだけじょう) (大三ヶ岳城・三岳城)
最寄地 福岡県北九州市小倉南区大字辻三307 2021.4.10
登城ルート(緑線は車道)
駐車スペース
鉄塔管理道標柱(6号)
段郭・主郭切岸
主郭
南東の堀切
西の郭
大三岳城跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高290m(ゲートより)】
【感想】 北九州市小倉南区大字辻三にある標高414mの大三岳に築かれている。
南北に細長い主郭と鞍部で繋がった南郭、谷を挟んだ西郭から構成されている。
全体的に削平は甘いが、主郭北に段郭、南郭南東に深い堀切、西郭東斜面に段郭が残っている。
【案内】 護聖寺(表記番地)に向かい、その手前の三岳梅林に説明板が建てられている[マップコード16 218 686*81]。
護聖寺前を通って約500m東に行くと林道入口がある[マップコード16 249 009*36]。
ゲートを開け閉めして、300m程までは楽に車で行け、広い駐車スペースがある。そこから1.2km程歩くと、上空に電線が見え、崩落した岩が道を塞いでおり、少し先で林道は終点となる。谷筋の50m先に鉄塔管理標柱(6号)がある(地図)。
沢の先を左斜めに登り、折り返して登って行くと6号鉄塔がある。背後から尾根を登るとすぐに段が見える。
主郭は南北に細長く、鞍部を経て南の郭に連なっており、南の郭の南東に堀切が見られる。西に谷を挟んで段郭を備えた西の郭がある。
西に下ると、鉄塔があり左側から山道があり小三岳城に行ける。
【歴史】 江戸時代に書かれた平姓の『長野系図』や『長野家譜』によれば、大三岳城は文和三年(1354年)に長野義忠が築き、小三岳城は延文四年(1359年)の弟・義基が築いたように記されている。
長野氏の出自は、鎌倉時代初めに編纂された『宇佐大鏡』には、治承四年(1180年)中原助光が長野庄の地頭に知行されたという記述があることから長野氏はもともと中原姓であったことがわかる。
長野氏は戦国時代、豊後の大友氏や防長の大内氏、毛利氏の間で勢力の維持に努めたが、永禄十一年(1568年)毛利元就軍から総攻撃を受けた。城将・長野弘勝は討ち死にし、数百名の戦死者を出し、長野氏は衰退した。