西原城 (にしはらじょう) (舞天城)(めてんじょう)
最寄地 鹿児島県鹿屋市輝北町上百引3930 2018.12.14
西原城 (にしはらじょう) (舞天城)(めてんじょう)
最寄地 鹿児島県鹿屋市輝北町上百引3930 2018.12.14
登城ルート(緑線は車道)
国道にある標識
堀跡の道路
主郭
石塔(左から2番目が城主の墓/3番目が武将の墓(五輪塔))
西郭
西原城跡(地図)
【遺構★★★☆☆】
【感想】 鹿屋市輝北町上百引の西側に位置する標高361.1mの山頂に築かれており、東西2つの郭、腰郭が残っている。
明治百年記念公園として整備され四阿が建てられ、東側に輝北町の町並が望め、眺望は良い。
【案内】 国道504号線に面した「大隅肝属地区消防組合輝北分署」(表記番地)北側に「←西原城跡」の標識が建てられている[マップコード472 464 302*06] 。
西に約450m行くと四叉路に着き右側を登る[マップコード472 463 112*15]。
そこから舗装道が城跡西郭まで通じており、西郭に駐車できる。説明板が建てられ、土塁上に石塔が祀られている。
消防組合の隣の「Aマート輝北店」(輝北町上百引39)の駐車場が図師家の居館跡と云われる。
【歴史】 図師家は養和元年(1181年)から元和元年(1615年)まで20代にわたり、434年間、百引(もびき)を支配し、南北朝時代には南朝方として活躍したが、後に島津氏に従った。
築城者、年代は不明だが、図師氏の先祖か、肝付系の武将が築城したものと思われる。
西南戦争の折は、ここに官軍が陣地を敷き大敗した。太平洋戦争の折、米機の監視所が設けられ、敵の上陸の備え竹槍の練習が行われた。『輝北町教育委員会説明板』より。