畑城 (はたじょう)
最寄地 奈良県山辺郡山添村大西46 2016.4.23 2016.9.2
畑城 (はたじょう)
最寄地 奈良県山辺郡山添村大西46 2016.4.23 2016.9.2
登城ルート(緑は西郭)
東側林道からの登り口・標識
主郭跡
主郭北石垣
西の郭手前堀切
西の郭
西の郭西の堀切
畑城跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高80m】
【案内・感想】 国道25号線に面した山辺高等学校山添分校(表記番地)角に説明板がある。
東に500mほど行った春日神社に駐車できる[マップコード131 336 069*37] 。池の横より林道を南へ約300m行くと、登り口がある(地図)。
すぐ右に登ってゆくと、主郭東の郭があり、標高約375m比高約80mの山頂に主郭(東の郭)があり、北側に石垣が残っている。西に一段下がってもう一つ郭がある。
尾根上を西に300mほど行くと、西の郭があり、前後に堀切がよく残っている。
【歴史】 天文年間(1532~55年)松永久秀に仕えた奥田三河守忠高により築城されたとされ、西の郭を築城し、その後東の郭を築いたとされる。
奥田氏は斯波氏の一族で、尾張国奥田城を拠点とし、奥田氏を称した。忠高は松永久秀に仕え、久秀没後は織田信長、豊臣秀吉に属した。
江戸時代、奥田氏は徳川家康により旗本に取り立てられ、この付近一帯を知行し、大西(役場周辺)に陣屋を構えた。