鳶ヶ巣城 (とびがすじょう) (市の史跡)
最寄地 島根県出雲市東林木町942‐4 2015.5.15
鳶ヶ巣城 (とびがすじょう) (市の史跡)
最寄地 島根県出雲市東林木町942‐4 2015.5.15
登城ルート(緑は南2郭)
駐車場・鳶ヶ巣山
西3郭
西1郭
主郭入口
主郭・宍道政慶公之碑
東1郭
南1郭
南2郭
鳶ヶ巣城 主郭跡(地図)
【遺構★★★★☆ 比高170m】
【案内・感想】 国道431号線表記番地西の交差点の北に駐車場が用意されている[マップコード134 543 003*18] 。駐車場隅に説明板が建てられ、西に登り口がある(地図)。
比高約170m歩行距離約1㎞の遊歩道が整備されている。登ると間もなく居館跡と思われる広い「麓の郭」がある。
尾根の分岐を右に登ると、視界が開け出雲平野が望める。なだらかな西端の地に「西3郭」があり、150mほど東に、「西1郭」「西2郭」があり、その上に主郭が標高281mの鳶ヶ巣山頂上にある。
主郭には「宍道政慶公之碑」、縄張り図が建てられている。東側に「東1郭」「東2郭」があり、土塁が残っている。
北に「北1郭」「北2郭」、南に長円形の広い「南1郭」があり、休憩所の建てられた「南2郭」(地図)がある。西に大社湾東に宍道湖が望める。
城域一帯が「鳶ヶ巣城址公園」として整備され、昭和三十五年(1960年)出雲市の史跡に指定された。
【歴史】 永正年間(1504~21年)、宍道(しんじ)久慶が築城し、金山要害城より本拠を移した。
天文十一年(1542年)宍道氏は大内氏・毛利氏の連合軍に属し、尼子氏の拠る富田に侵攻した。
しかし、2年間にわたる戦いの末、連合軍は尼子氏に敗退した。大内氏の敗退により、城主宍道隆慶は鳶ヶ巣城を追われ、一族と共に長州へ逃れた。天文十二年(1543年)尼子方が入城した。
永禄四年(1561年)隆慶は、大きな勢力となった毛利元就の配下として再侵攻に従った。
翌年、鳶ヶ巣城を毛利氏が攻略し、宍道隆慶・政慶父子を城主とし、城を改修し尼子氏攻めの拠点とした。
4年間に及ぶ戦いの末、元亀元年(1570年)尼子再興軍討伐の為、毛利輝元らが入城した。
ここを拠点として、尼子方拠点の富田城を攻め、落とした。出雲平野を挟んでの鳶ヶ巣城と戦った南山の米原氏の高瀬城とその支城を攻略した。
慶長五年(1600年)関ヶ原の戦いにより毛利氏が減封され、宍道氏もこれに従い萩に移り、廃城となった。