烏帽子岳城 (えぼしだけじょう)
所在地 大分県大分市志生木 2019.3.7
烏帽子岳城 (えぼしだけじょう)
所在地 大分県大分市志生木 2019.3.7
登城ルート(緑線は車道)
駐車場
主郭切岸
主郭・トーチカ
北の郭・四阿
主郭東側の横堀
烏帽子岳城跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高60m(駐車場より)】
【感想】 佐賀関半島の東側に位置する、標高267.9mの城山に築かれている。主郭と北に伸びる郭があり、東側に横堀などが見られる。
山頂南側まで車で登れ、頂上からは半島先端部や遠く豊予海峡を望める。
【案内】 国道197号線の「小志生木海水浴場」西の「城山森林公園→」の案内板より右折し、佐賀関ダム東を通って、その先を左折し約3.6km登ると「城山森林公園」駐車場(18台)が用意されている[マップコード328 838 406*86](地図)。
そこから北へ300mほど登ってゆくと、右側に切岸が見え、登ると城山頂上に着く。
三角点があり、トーチカ跡と思える円形のコンクリートがあり、東側下段に横堀が見られる。北に細長く郭があり四阿が建てられている。
【歴史】 治承年間(1177~81年)緒方三郎惟栄の弟・佐加四郎惟憲によって築かれたとも伝えられる。
弘治二年(1556年)小原鑑元が中村長直らと大友義鎮に反乱を企て、これに同調した栂牟礼城主・佐伯惟教(これのり)は大友義鎮(宗麟の父)によって討伐軍を送られた。惟教は討伐軍と交戦せずに一族を率いて伊予の西園寺実充を頼って落ちていった。
永禄十二年(1569年)臼杵鑑速らのとりなしによって惟教は義鎮に許されて豊後に戻り、烏帽子岳城を修築し居城とした。元亀元年(1570年)栂牟礼城を返還され惟教は移ったという。