時枝陣屋 (ときえだじんや)
最寄地 大分県宇佐市下時枝555‐1 2015.5.13
時枝陣屋 (ときえだじんや)
最寄地 大分県宇佐市下時枝555‐1 2015.5.13
時枝陣屋跡碑
民家の庭園
石垣
【遺構★★☆☆☆】
【案内・感想】 「芽豆羅こども園」(表記番地)の北の民家敷地となり東側道路に面して、「時枝陣屋跡」の石碑、標柱が建てられている[マップコード145 502 272*31] (地図)。
植込みの中に石垣が残っており、手水鉢などの置かれた庭園がある。
【歴史】 戦国時代には時枝平太夫が城主となっていた。平太夫は反大友氏の急先鋒で、毛利氏や秋月氏らと呼応し、たびたび反乱を起こした。
豊臣秀吉による九州征伐の際には真っ先に豊臣氏に降伏し、その案内役を務めるとともに、時枝城を黒田孝高(よしたか・官兵衛)に提供した。
時枝氏が黒田氏の家臣となって筑前国に移ってからは廃城となった。
のちに元禄十二年(1699年)旗本小笠原長宥によって陣屋が築かれ、時枝領五千石を治めた。『木碑文』より。