内木場城 (うちこばじょう) (木葉城)
最寄地 宮崎県小林市東方3632 2019.5.5
内木場城 (うちこばじょう) (木葉城)
最寄地 宮崎県小林市東方3632 2019.5.5
登城ルート(緑線は車道)
入口の城跡標柱
主郭南側切岸
東側平坦地
西側の一段下がった平坦地
内木場城跡(地図)
【遺構★★☆☆☆ 比高20m】
【感想】 岩瀬川の大きく蛇行する地点に熊川が合流する標高236mの独立丘陵に築かれている。
東西に細長い丘陵に3つの郭があったとされるが、現状は畑となり郭や堀跡は消滅している。
【案内】 国道265号線の「櫓の轟⇒」の看板のある交差点より約650m北に行く。左に内木場城の丘陵が見え市道が広く路駐できる[マップコード227 676 101*71]。
西に70m程歩くと、表記番地横に「内木場城跡」の標柱が建てられている(地図)。
そこから舗装された農道が城跡南側を通っており、城跡に行くことが出来る。
城跡は畑となっており、殆ど遺構は見られない。西側に無線塔があり、一段下がった畑が西出丸と思われる。
【歴史】 築城主や築城年等は不明であるが、真幸院を治めていた北原氏が築城したのではないかと推察され、永禄年間(1558~70年)には橋口刑部左衛門が居住していたという。
その後、北原領を簒奪した伊東氏の城に帰し、元亀二年(1571年)九月に伊東祐安が入城すると城の改修がなされた。
伊東祐安は、翌、元亀三年の木崎原の戦いで討ち死にした。
天正四年(1576年)に三ツ山(小林市の旧名)が島津氏の領有に帰すると島津氏の所有となった。
元和元年(1615年)の一国一城令により廃城とされた。