二見城 (ふたみじょう)
所在地 奈良県五條市二見5-2 2016.9.3
二見城 (ふたみじょう)
所在地 奈良県五條市二見5-2 2016.9.3
説明板
二の丸・塀・堀跡
大阪の陣出陣モニュメント
本丸・妙住寺
縄張り図
吉野川
二見城跡(地図)
【遺構★★☆☆☆】
【案内・感想】 吉野川右岸の妙住寺が本丸跡で、南の木材工場(五條市二見5丁目2−7)が二の丸跡である[マップコード36 008 636*83]。
模擬塀が建てられ、工場側に説明板が建てられている。塀も西側に堀跡の低地が帯状にある。
【歴史】 二見城は、戦国時代この地に勢力を持っていた二見氏の館を前身とする。
江戸時代、慶長十三年(1608年)五條二見藩1万石余の城主として入国した松倉豊後守重政が、近世城郭に改築した。
松倉重政は、もとは戦国大名筒井家の重臣として仕えていたが、筒井家が改易された時、関ヶ原の戦いの功により徳川家康によって大名に取り立てられた。
大阪の陣の功績により、元和二年(1616年)重政は肥前国日野江城へ4万3千石の大名として国替えとなり、程なく二見城は廃城となった。重政はその後7年の歳月をかけて壮麗な島原城を築いた。これが島原の乱の誘因となった。