曽場ヶ城 (そばがじょう) (杣城・飯田城・大山城)
最寄地 広島県東広島市八本松町飯田1878−4 2021.4.16
曽場ヶ城 (そばがじょう) (杣城・飯田城・大山城)
最寄地 広島県東広島市八本松町飯田1878−4 2021.4.16
登城ルート(緑線は車道)
5号横断橋(渡って左へ)
三の丸
二の丸
本丸
本丸北西の石垣
南西の2重堀切
2番目の堀切
曽場ヶ城跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高330m】
【感想】 東広島市八本松町飯田と八本松町原の境に位置する標高606.8mの曽場ヶ城山に本丸があり、東に二の丸、午の段、少し離れて東に三の丸がある。
本丸北西の石垣や南西尾根に2重堀切がよく残っている。
【案内】 表記番地南の国道2号線西条バイパスに架かる5号横断橋手前の住宅予定地に駐車させてもらった[マップコード168 067 412*37]。
横断橋の先を左折し(地図)、登って行くと自然石の「戦没者供養塔」がある(地図)。
そこから尾根に出て、南西へ遊歩道を延々と歩くと、三の丸に着く(地図)。
西に200m程行くと「午の段」があり、「八本松八十八石仏」が各所に祀られ、上段に二の丸がある。
矢竹のある馬場のような細長い郭を過ぎると、本丸に着く。
【歴史】 築城時期ははっきりしないが、周防大内氏に属した飯田氏によって築かれたと云われる。
大永三年(1523年)の鏡山城の戦いによって大内氏の安芸国支配の中枢であった鏡山城が落城し、飯田氏は帰農した。
鏡山城の防御力に不安を感じた大内義興は、大永七年(1527年)頃に曽場ヶ城を改築したとされる。
しかし、あまりにも高所で不便を感じたためか、大内氏はより便利な槌山城を築いて移転し、曽場ヶ城は廃城となった。