志自岐城 (しじきじょう) (志々伎館)
最寄地 長崎県平戸市志々伎町1525 2017.5.11
志自岐城 (しじきじょう) (志々伎館)
最寄地 長崎県平戸市志々伎町1525 2017.5.11
登城ルート
西側入口の路地
70m先の石段
堀切
薮化した主郭
南側平坦地
志自岐城跡(地図)
【遺構★★☆☆☆ 比高30m】
【感想】 平戸島の南部、志々伎湾に面した集落の北側に位置している。主郭は篠竹が密生し登るのがやっとで、先に進めず全体はとても見られなかった。
【案内】 国道383号線の右側、志々伎集落入口付近に案内板が建てられている。その中に志自岐城跡について記載がある。
国道383号線終点から30mほど南を、大きく右折し西に約600m行き、右折して細い道を約90m行くと右側に空き地がある[マップコード585 108 530*23]。駐車させてもらった。
その東の消火栓ボックス向いの人一人通れる路地より入る(地図)。
階段を登って道なりに70mほど行き石垣の手前の石段を登ると民家敷地に出、左側に祠が祀られている(地図)。
獣除けフエンスを開け登ると、墓地がありその先に平坦地がある。そのまま東に進むと空堀があり、切岸の見える篠竹の密生した主郭がある。
【歴史】 志自岐氏は、十城別王がこの地に遣わされた頃から供奉し、祭祀を担当したという記録がある。
その後、広大な荘園を預かる荘官であったが、台頭してくる武士たちから荘園を守るため自らも武士になった。
その後、惣領家が平戸松浦家に滅ぼされると、次男家が松浦家の家臣になった。『案内板より』。