三城城 (さんじょうじょう)
所在地 長崎県大村市三城町1267-3 2014.9.6 2019.12.12
三城城 (さんじょうじょう)
所在地 長崎県大村市三城町1267-3 2014.9.6 2019.12.12
配置図
曲輪2・説明板
曲輪1、2間の空堀
曲輪3切岸
曲輪1・長崎県忠霊塔
曲輪1・長崎県忠霊塔横の三城々址の石碑
三城城 曲輪1跡(地図)
【遺構★★★☆☆】
【感想】 大上戸川の南、国道257号線と大村線の間の丘陵に築かれており、3つの主要曲輪と付属曲輪から構成されている。
曲輪1は忠霊塔が建てられ、曲輪2との間に空堀が残っている。空堀は北へ伸び曲輪3東まで続いている。
5年ぶりに訪れたが、曲輪2は発掘調査ののち、きれいに整地され説明板が建てられていた。
【案内】 富松神社社務所(大村市三城町1247)前の道を登り長崎県忠霊塔南西側に駐車場がある。
一段高い曲輪1には、東端に第二次世界大戦の犠牲者6万余柱を祀った忠霊塔(1994年建立)があり、その南に忠霊塔道場(表記番地)がある。
手水舎の後ろに「三城々址」の石碑が建てられている(地図)。南側に切岸がよく残っている。北側は富松神社と三城神社の境内となっている。
東側の国道257号線より行った所に曲輪2があり、説明板が建てられている[マップコード44 881 485*02](地図)。
その西、曲輪1との間に空堀が南北に伸びている。また北側に行くと、曲輪3があり、空堀・切岸・土塁が残っている。
【歴史】 大村氏はそれまで中世からの大村館(城の北西、乾馬場町付近)に居していたが、キリシタン大名として知られる大村純忠がこの地に本格的な城郭を造営し、永禄七年(1564年)に完成した三城城に移った。
元亀三年(1572年)には純忠と対立していた武雄城主の後藤貴明らに城を包囲されたが、純忠以下寡兵ながら持ちこたえ、援軍を待って包囲を解かせた。大村家では後年、これを「三城七騎籠り」と称した。
純忠の純忠の跡を継いだ嫡男の喜前(よしあき)が慶長四年(1599年)に玖島城を新たに築いて移り、大村氏本城としての役目を終えた。
寛永十四年(1637年)に江戸幕府の命により城は完全に破却され、廃城となった。