蒲生城 (かもうじょう) (龍ヶ城)
最寄地 鹿児島県姶良市蒲生町久末332 2018.12.13
蒲生城 (かもうじょう) (龍ヶ城)
最寄地 鹿児島県姶良市蒲生町久末332 2018.12.13
登城ルート
二の丸入口・模擬門
二の丸・展望台
二の丸から下りた堀道
本丸仕切門跡
本丸桝形虎口
本丸・土塁
本丸背後の堀切
蒲生城 本丸跡(地図)
【遺構★★★★☆ 比高50m(駐車場より)】
【感想】 姶良市蒲生町久末の標高162.5mの龍ヶ山に本丸があり、北に二の丸、桜公園の郭がある。南に堀切、土橋で倉ノ城につながっている。
本丸は草木が多く、あまりはっきりしない所もあるが、枡形虎口や土塁などよく残っている。
【案内】 県道25号線の表記番地南より林道城山線(約1.7km)が二の丸西の駐車場に通じている[マップコード42 609 211*58]。
駐車場の北側に広い桜公園があり、城址碑が建てられ眺望は良い。駐車場の南に大きな案内図が建てられ、模擬門より登ると二の丸があり、展望台が建てられている。
そこを下ると、駐車場から続く垂直に切り立った堀道に出、左へ約60m下ると、水の手へ着く。
戻って南へ登ってゆくと、本丸左側に着き、その先が馬場跡で、堀切を経て、土橋を渡ると倉ノ城に着く。
本丸は5段の階段状の郭が連なり、南端に土塁がある。
東に建昌城・帖佐城、西に北村城、南に吉田城・岩剣城、北に山田城・松坂城の7支城があった。
【歴史】 保安四年(1123年)宇佐八幡宮の留守職・藤原基通の子・教清(のりきよ)と宇佐八幡大宮司の娘との間に生まれた藤原舜清(ちかきよ)が蒲生院の総領職に補せられ、蒲生・吉田を領し居城とした。
島津貴久による「三州平定」において、蒲生家17代範清が弘治三年(1557年)落城して祁答院良重の城へ逃れるまで、435年間蒲生氏の居城であった。