清水山城 (しみずやまじょう) (国の史跡)
最寄地 滋賀県高島市新旭町安井川1463 2014.6.15
清水山城 (しみずやまじょう) (国の史跡)
最寄地 滋賀県高島市新旭町安井川1463 2014.6.15
3登城ルート 5
.358457,136.021696
西屋敷・加賀殿
東屋敷・越中殿
大手・空堀
主郭下の畝状竪堀
主郭・建物礎石
堀切
2郭・土塁
2郭3郭間の堀切
3郭・土塁
清水山城 主郭跡(地図)
【遺構★★★★☆ 比高90m】
【案内・感想】 県道293号線「安井川」交差点より西に約800m行き、右折北に300mほど行き、右折、川を渡って350mほど行った表記番地西に登り口がある。説明板が建てられ、わずかに駐車スペースがある[マップコード263 677 286*03](地図)。
主郭までは約700mである。送電線に沿って約300m登り、東に下ると「大手道」の横に「西屋敷・加賀殿」の土塁に囲まれた広い曲輪がある。更に東に行くと「アリノコシ」と呼ばれる沢があり、その東に平地の「東屋敷・越中殿」跡がある。
戻って大手道を登ってゆくと、堀切を経て「曲輪」の台地がある。横を北に登ると、「主郭」の下に着く。主郭の斜面に畝状竪堀が確認できる。主郭は虎口、土塁、建物礎石が残っており、城跡説明看板が置かれ、送電線の鉄塔が立っている。標高約210m比高約90mの主郭から東に高島市街、琵琶湖、対岸の彦根方面を望むことが出来る。
主郭の南西に堀切で隔てられた2郭があり、ロープを伝って下りる深い堀切の先に3郭がある。2郭には土塁が残り、北に高くなった櫓台と思われる場所がある。3郭には土塁が残っている。
平成十六年(2004年)2月27日、「清水山城館跡」として、国の史跡に指定された。
【歴史】 嘉禎元年(1235年)佐々木信綱の次男・高信が高島郡田中郷の地頭となり、築城した。
子孫は高島氏(高島越中守)を称し、西佐々木七人・七佐々木・高島河上七頭などと呼ばれ、西佐々木氏一族の惣領として代々居城し治めた。
十六世紀後半、対織田信長戦への緊張が高まる中で佐々木越中氏だけでなく西佐々木氏一族の詰城として大規模に改修されたと云われる。
山城南方の山腹に広がる清水山城館跡(西屋敷加賀殿・東屋敷越中殿)は遺構の特徴などから、かって、この地に在った天台寺院清水寺(せいすいじ)の坊院跡を一族や家臣のの屋敷として利用されたと考えられている。
元亀三年(1572年)織田信長の高島郡攻略により落城したと推定されている。