重清城 (しげきよじょう) (市の史跡)
所在地 徳島県美馬市美馬町城55 2017.9.22
重清城 (しげきよじょう) (市の史跡)
所在地 徳島県美馬市美馬町城55 2017.9.22
空堀
城跡標柱と説明板
説明板
主郭・土塁
石積井戸
2重空堀
重清城跡(地図)
【遺構★★★★☆】
【感想】 吉野川左岸の河岸段丘先端部に、土塁を巡らせた主郭があり、石積井戸が残され、中央に城主を祀った小笠原神社がある(倒壊している)。
北から西側は崖となり、西に一段下がって腰郭がある。
東側に2重空堀がよく残り、南側の堀部分には民家があり、改変されている。
【案内】 県道12号線より北に行った表記番地先に城跡標柱、説明板が建てられている[マップコード228 166 477*41]。
平成十三年(2001年)12月7日、美馬市の史跡に指定された。
【歴史】 南北朝時代、暦応二年(1339年)阿波国守護の小笠原長房の孫・長親によって築かれたと云われる。
天正六年(1577年)正月、長宗我部方の大西上野介頼包と中鳥城主・久米刑馬によって重清城主・小笠原豊後守長政が謀殺された。これに対し十河 (三好)存保(そごうまさやす)は三千余の兵で城を包囲し、重清城を取り戻した。
しかし、天正七年(1579年)長宗我部氏は大軍をもって、再び重清城を攻め、十河存保は5千の兵で守ったが遂に敗れ、落城した。