今高野山城 (いまこうやさんじょう)
最寄地 広島県世羅郡世羅町甲山152 2021.6.5
今高野山城 (いまこうやさんじょう)
最寄地 広島県世羅郡世羅町甲山152 2021.6.5
登城ルート(緑線は車道)
丹生神社
遊歩道の看板
三の丸の古城山展望台
二の丸
本丸
今高野山城 本丸跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高140m】
【感想】 芦田川右岸の標高約508mの今高野山に築かれている。
南北に伸びた尾根に3つの主要郭が並んでおり、本丸には甲岩と呼ばれる奇岩があり、東尾根には堀切と竪堀がよく残っている。
北端の三の丸は大戦中、甲山防空監視硝が設けられ、現在は天守風の展望台が建てられている。
【案内】 国道185号線より特徴的な山容が望め、龍華寺(表記番地)南の「憩いの森」広場に駐車できる[マップコード257 592 529*62]。
北側の丹生神社前を通って龍華寺観音堂南側から、三の丸の展望台への遊歩道が設けられている。
【歴史】 当地を支配した上原氏により築かれ、戦国時代の城主・上原元祐は毛利元就の娘を娶り姻戚関係を結んだ。
天文九年(1540年)、山麓で毛利氏と尼子氏の合戦が起き、龍華寺は焼け落ちた。
上原元祐は毛利方の武将として活躍したが、天正十年(1582年)羽柴秀吉勢が備中高松城を攻めた時、秀吉方に寝返り、六月、秀吉勢が引き上げたのち毛利家により滅ぼされた。