山本山城 (やまもとやまじょう) (阿閉城)(あつじじょう)
最寄地 滋賀県長浜市湖北町山本1125 2016.10.26
山本山城 (やまもとやまじょう) (阿閉城)(あつじじょう)
最寄地 滋賀県長浜市湖北町山本1125 2016.10.26
登城ルート
朝日山神社左の登り口
三の丸跡
二の丸跡
本丸跡・土塁
土橋・二重空堀
山本山城 本丸跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高220m】
【感想】 忠霊塔からはジグザグの堀道が続き、比高が高く息が上がる。思った以上に主郭の土塁がよく残っていた。また背後の二重堀切など見どころは多く残っている。
【案内】 朝日小学校(表記番地)の東、朝日山神社参道入口に「山本山登山道」の石碑が建てられ[マップコード192 115 118*27]、その先左の朝日小学校駐車場が利用できる。
朝日山神社左に登り口があり、山本山の案内図が建てられている。登ると間もなく常楽寺があり、拝殿裏の中央の木道を登る。
間もなく獣除けフエンス扉があり、開け閉めて登ると忠霊塔に出る。背後より登ると「頂上まであと500m」の標識がある。10分ほど登ると、広い三の丸跡に出る。
その左に少し登ると二の丸である。二の丸の端から琵琶湖の北岸が眼下に広がっている。二の丸は緩やかに傾斜し、東に土橋を経て本丸がある。標高324.4mの山本山頂上に本丸があり、土塁が一周に亘ってよく残っている。
本丸背後に堀切があり、一番馬場、二番馬場、馬の蹴跡、二重空堀が並び、大きな平坦地がある。
【歴史】 平安時代末期、山本源氏山本義経の本拠であったと伝えられている。
戦国時代、浅井氏の支城となり阿閉(あつじ)氏が守備した。元亀三年(1572年)七月二十日織田信長の小谷城攻めの際、信長の命を受けた木下秀吉により攻められ落城した。