安楽平城 (あらひらじょう) (荒平城)
最寄地 福岡県福岡市早良区脇山1丁目23−47 2020.9.19
安楽平城 (あらひらじょう) (荒平城)
最寄地 福岡県福岡市早良区脇山1丁目23−47 2020.9.19
登城ルート(緑線は車道)
小田部鎮元自刃地碑
林道終点(直進)
出丸・鉄塔
主郭・三角点
東堀切
安楽平城跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高200m】
【感想】 早良区大字内野と大字東入部の境に位置し、油山(標高394.8m)から西に連なる標高394.8mの荒平山に築かれている。
主郭は20m×15mほどの長円形で、北東尾根に3郭、北西尾根に2郭を配置している。3郭の東端に堀切や南面に石垣が良く残っている。
【案内】 「筑紫女学園楽山荘」(表記番地)東より林道入口があり[マップコード224 297 471*56]、約1km北に行くと「荒平城主小田部鎮元自刃之地」の碑があり、反対側に駐車できる[マップコード13 012 382*55](地図)。
その先が林道終点で、直進し沢に沿って170m程行くと、左への鉄塔管理道がある(地図)。
管理道をジグザグに登って行くと、堀切に出、左に出丸があり鉄塔が建てられている。
右に登って行くと巨岩群がありその間を登ると主郭に着く。主郭には三角点があり「安楽平城跡」の石碑と説明板が建てられている。
油山へ向かう東尾根には細長い3郭があり東端に石垣や巨岩を利用した堀切がある。
行ってはいないが、主郭西側から北西方向に2郭があり、堀切がある。
【歴史】 寛正三年(1463年)周防・長門の守護大内政弘の家臣・飯田幸松丸によって築かれた。
天文二十二年(1553年)大友宗麟の配下の小田部鎮元(鎮通)が城主となった。
天正七年(1579年)肥前の龍造寺隆信の軍勢が三瀬を越えて早良郡へ侵攻すると、鎮元は安楽平城へ籠城した。
鷲ヶ岳城主大鶴宗雲や、立花山城の戸次道雪も援軍を送ったが遂に落城し、城主の小田部鎮元は自刃したという。