曽井城 (そいじょう)
所在地 宮崎県宮崎市恒久5567 2019.3.6
曽井城 (そいじょう)
所在地 宮崎県宮崎市恒久5567 2019.3.6
北側入口
野崎病院北側
デイケア西側の土塁
南側の土塁
曽井城跡(地図)
【遺構★★☆☆☆】
【感想】 大きな病院のどこかに遺構は無いかと見て回った。西側にあるデイケアセンターの裏に行くと、フエンスの先の竹藪の中に南北に伸びた土塁を見つける事が出来た。
南側に回ってみると、駐車場の南に鬱蒼とした高い土塁が見つけられた。
【案内】 宮崎市恒久の野崎病院(表記番地)敷地となっている[マップコード66 198 238*12]。東西約250m南北約140mの敷地である。
【歴史】 天授年間(1375~81年)伊東祐景の子孫の曽井祐善により築城されたと云われる。その後曽井氏は応永年間(1394~1428年)、日向に進出した島津豊久の娘を娶り、島津氏方に付いた。
文安元年(1444年)伊東氏は曽井城を攻め落とした。永禄年間(1558~70年)頃の城主は伊東氏家臣・八代民部左衛門尉が務めた。
天正五年(1577年)島津氏の侵攻によって伊東氏が没落し、島津氏の所領となると、比志島義知が城主となった。
天正十五年(1587年)、豊臣秀吉の九州征伐後、国割りが行われ、伊東祐兵の所領と定められた。
元和元年(1615年)一国一城令で廃城となった。