山口城 (やまぐちじょう) (山口政庁・山口屋形)
所在地 山口県山口市滝町1 2013.10.12 2021.6.7
山口城 (やまぐちじょう) (山口政庁・山口屋形)
所在地 山口県山口市滝町1 2013.10.12 2021.6.7
政庁表門
県庁入口・水堀
旧県庁舎
旧議会棟
南東側堀
【遺構★★☆☆☆】
【案内・感想】 山口県庁敷地となり、国道9号「山口県庁前」交差点の南西に堀、門が保存されている(地図)。県庁内の駐車場が利用できる[マップコード93 641 681*85]。
天守の無い平城で、高嶺城を詰城としていた。現存する絵図によると、大砲を備えた西洋式城郭(八角の稜堡式城郭)の特徴があったとされる。
また、周囲には水堀と腰巻型石垣を築き、萩城御殿を解体移築した御殿が建てられていた。
【歴史】 慶長五年(1600年)以降、萩城が周防・長門国36万石を所領した毛利氏の居城(藩庁)であったが、元治元年(1864年)に13代毛利敬親(たかちか)によって、大内氏の居城であった高嶺(こうのみね)城跡のある山口の一露山の麓に移転された。
高嶺城を詰城として、水堀をめぐらし、腰巻型の石垣を築いて御殿は萩城の御殿を解体移築して建てられた。
築城当時は幕末の動乱期に当たり、高杉晋作、桂小五郎、伊藤博文等の藩士が足早に往来したことと思われる。
第一次長州征伐の際に、幕府側の撤兵の条件として山口城の破却が提示され、それに恭順し、城の一部を破却し、一時萩城へ移転したが、慶応二年(1868年)に再び山口城へ政庁を移した。
明治四年(1871年)廃藩置県を受けて、城内に山口県庁が置かれた。
明治六年(1873年)の廃城令によって、存城処分となり陸軍省(第五軍管)の所管となるが、同年七月に大蔵省の所管へ変更され廃城となった。
大正時代になって城趾には旧山口県庁庁舎と旧山口県議会議事堂が建てられたが、今日、山口県政資料館として利用されている。