龍野古城 (たつのこじょう) (朝霞城)
最寄地 兵庫県たつの市龍野町中霞城36 2017.5.14
龍野古城 (たつのこじょう) (朝霞城)
最寄地 兵庫県たつの市龍野町中霞城36 2017.5.14
登城ルート(青丸は龍野城)
登り口
本丸石垣
本丸
本丸南側腰郭
本丸二の丸間の鞍部郭
二の丸
龍野古城 本丸跡(地図)
【遺構★★★★☆ 比高170m】
【感想】 揖保川右岸の標高218mの鶏籠山(けいろうざん)頂上に本丸を置き、150mほど南の山頂に二の丸を配した城で、石垣が部分的に残っている。
【案内】 龍野城の北西に紅葉谷登り口がある[マップコード114 440 043*75](地図)。石段を直進し尾根より右に登ってゆく。本丸には腰郭、帯郭、八幡宮跡などの郭があり石畳、石段、石垣が残っている。
【歴史】 明応八年(1499年)に塩屋城の龍野赤松氏・赤松村秀が龍野に鶏籠山城を築いた。
以後は政秀、広貞、広秀と続いたが、天正五年(1577年)織田信長の命を受けた羽柴秀吉の大軍に攻められ、広秀は開城し、羽柴秀吉の軍門に降った。
播磨平定後、姫路城を本拠として整備した秀吉は新たに蜂須賀正勝(小六)を置いた。その後、福島正則、木下勝俊、小出吉政など秀吉の信頼する重臣たちが城主を務めた。その後、慶長三年(1598年)頃、山頂の城を取り壊し、麓の現在の地に城が築かれた。
徳川時代となり、元和三年(1617年)麓の城に龍野藩主として本多政朝が入城した。万治元年(1658年)京極高和の丸亀城移転の移転の際に破却された。
寛文十二年(1672年)、脇坂安政によって龍野城が再建された。山麓居館部のみの陣屋形式の城郭になった。