縦淵城 (たてぶちじょう)
所在地 愛媛県松山市東石井5丁目13 2018.3.6
縦淵城 (たてぶちじょう)
所在地 愛媛県松山市東石井5丁目13 2018.3.6
説明板
城山神社
城山神社・城址碑
縦淵城跡(地図)
【遺構★☆☆☆☆】
【感想】 小野川(縦淵川)の南に高さ8m、東西47m南北86mの丘の上にあったが、明治二十一年(1888年)土佐街道(国道33号線)工事で取り崩された。したがって遺構は消滅している。
【案内】 小野川の南、国道33号線の西側の道路に面して城山神社がある[マップコード53 228 614*85]。
境内に「縦淵城址」の石碑、説明板が建てられている。
【歴史】 伊予の豪族河野氏は、源氏と結んで勢力を伸ばしたが、承久の乱(1221年)で後鳥羽上皇方に付き没落した。このとき、鎌倉の味方をした庶子の通久は功により、久米郡石井郷を賜り、家督を継ぎ縦淵城を築いた。
その後、同母弟の通継を経て、河野通有が後を継いだ。通有は、弘安の役(1281年)において、「河野の後ろ築地」と呼ばれる勇猛ぶりで勇名を馳せ勢力を回復した。
その後、通盛の代になって湯築城を築き伊予平野の中心地に出て勢力を伸ばし守護に任じられた。