深江城 (ふかえじょう)
所在地 長崎県南島原市深江町丙 2019.12.10
深江城 (ふかえじょう)
所在地 長崎県南島原市深江町丙 2019.12.10
説明板
城址碑・説明板
深江城址鎮魂地蔵
先端の畑
熊野神社
熊野神社横の堀
深江城跡(地図)
【遺構★★☆☆☆】
【感想】 深江川左岸の台地に築かれている。畑や住宅地となり遺構は少ないが、出丸跡とされる熊野神社一帯に堀跡が見られる。普賢岳を望む地に深江城址鎮魂地蔵が祀られている。
【案内】 国道251号線より県道133号線を約550m行った熊野神社先に城跡碑、説明板が建てられている[マップコード173 476 461*43]。
熊野神社が出丸と云われる。
【歴史】 『深江家系図』には、初代安富頼清の時「正応五年十二月六日、執権北条相模守平貞時の下文を賜って鎮西に下向」とあり、正応五年(1292年)以降地頭に着任したと思われる。
着任当初は居館を建て、勢力の拡大に伴って深江城を築城したと考えられる。
1392年(元中九年・明徳三年)南北朝が統一されたが、島原半島ではそれ以降も豪族が探題方と宮方分れ対立していた。
安富氏は探題方に属し、有馬氏とも対立していたが、やがて勢力を伸ばした有馬氏に服属した。
しかし、天正十二年(1584年)の沖田畷の戦いでは、安富氏は龍造寺氏に味方したため、深江城は有馬・島津連合軍に包囲され籠城戦となった。籠城中、沖田畷で龍造寺隆信が戦死すると、安富氏は城を脱出し、現在の佐賀市水ヶ江町に去っていった。