酒見城 (さけみじょう)
最寄地 福岡県大川市酒見458-8 2019.12.9
酒見城 (さけみじょう)
最寄地 福岡県大川市酒見458-8 2019.12.9
酒見納骨堂
酒見納骨堂・説明板
説明板
用水路
酒見城跡(地図)
【遺構★☆☆☆☆】
【感想】 大川市酒見字上城内・下城内の微高地に築かれていたとされる。
城内の約30アールの微高地は共同墓地になっており、遺構は消滅している。
【案内】 花宗川に面した風浪宮鳥居前に駐車出来る[マップコード37 151 068*65]。
そこより「江の津橋」東へ30m程行き、右折し細い道を行くと間もなく酒見納骨堂があり、納骨堂の前に説明板が建てられている。
【歴史】 南北朝期、肥後の菊池武安が酒見城を攻撃したという文書がある。
また、天正八年(1580年)龍造寺隆信により築かれ、鍋島信生(直茂)に守らせたという記録がある。跡地に築いたという事かも知れない。
天正十五年(1587年)下筑後を支配した立花宗茂は、酒見城督に由布美作を充て、113町を預け早船大船など5隻を配置した。
慶長六年(1601年)田中吉政が築後に入国すると、奉行口分田甚左衛門によって破却された。